努力が報われない人が、人生を嘆く前に見直すべきことってたくさんあると思う。

努力が報われない人

『努力は必ず報われる』と言う人もいれば、『そんなのは勝者の理論。報われない努力もある』と言う人もいます。

そもそも『努力』という言葉も『報われる』という言葉も、どちらもとても抽象的で人それぞれ尺度が違う概念ではないでしょうか。

だから『努力が報われるかどうか』の論争については、僕的には意味をなさないものだと思っていますし、現実的に全ての人間の全ての願いや目標が同時に叶うことはありえないとも思っています。(賞レースとか受験とか『枠が決まってるもの』をイメージしてもらえればわかりやすいかと)

ただ、『目標が叶わなかった=報われなかった』というわけでは必ずしもないと思うし、『努力が報われなかった』と嘆く前に考えるべきことって色々あるんじゃないかとも思います。

今回はそんな『努力が報われない』と感じている方に向けた、いくつかのチェックポイントをご紹介していきます。

目次

目標設定は適切なのだろうか?

そもそもの話、『努力が報われたかどうか』は『報われた』の基準次第で答えが変わってきます。

めちゃくちゃ高い目標を設定した場合は『報われない』方が多いだろうし、目標のハードルが低ければ『報われる』方が多いわけですから。

人はいつも自分にとって最適な目標を設定できるわけではありません。

例えば、就職活動をしていると『内定を貰うこと』が目標になりがちですが、人生をトータルで考えると『会社に入ること』が人生最大の目標という風にはならないですよね。

そもそも最初に設定した目標は、総合的に見た場合、決して自分にとって適切なものである保証なんてどこにもないわけです。

だから常に『自分にとって適切な目標は何か』を考えながら、最初に立てた目標に固執するのではなく、目標を自分の状況に応じてアップデートしていく柔軟性を持つべきです。

もし『自分の努力が報われない』と感じるなら、『実は目標設定が間違っているだけで、本当は気づいてないだけで自分の望みって叶っているかもよ?』と自問してみるといいですね。

戦うフィールドを間違えていないだろうか?

運や才能がモノを言う世界、受験や採用活動のように枠が決まっている世界の場合、自分の努力が報われないと感じる人の割合も必然的に多くなるでしょう。

そもそも、凡人でも勝てるフィールドもあれば、勝てないフィールドもあるのは事実。

挑戦することに意義がある、夢を掴むよりも夢に生きることが人生だ、そういう価値観を大事にしている人ならいいですけど、もし『報われる努力がしたい』と考えているのなら、目標設定を見直すと共に『戦うフィールド』そのものを見直してみることも効果的です。

夢を掴む人の数が限られている世界、勝者の数だけ敗者がいる世界なら、必然的に努力が報われなくなる可能性も高くなってしまいます。

『報われる』の基準をどこに置くか次第ですが『勝ち負け』の論理じゃないフィールドを選ぶことも非常に大事なポイントです。僕は『起業』というフィールドを選びましたが、起業の成功も人それぞれ基準が違うし、ゼロサムゲームの世界じゃないので、戦うフィールドとして本当に魅力的だなと感じます。

努力をただ『ガムシャラに行動すること』だと勘違いしていないか?

『ただひたすらに量をこなすこと=努力』だと考えている人もいます。

確かに『量質転化の法則』という言葉もあるように、何事も最初は量をこなすことが大事です。

参考:仕事や勉強の質を高める『量質転化の法則』のススメ

しかし、正しい方法論を学んでいなかったり、1回1回の行動の後に結果を検証しなかったり、反省から学びを得なかったり、思考停止状態に陥り工夫が何も見られなかったり…そういう状態で『ただ量をこなせばいいんでしょ?』っていう気持ちで行った行動は、努力でもなんでもありません。(むしろサボりとも言える)

真の努力とは『目標達成のために最善を尽くすこと』ですし、ただ辛くて苦しいことを繰り返すだけの状態は『努力』と呼べないので、自分が行ってきたのは本当に努力と言えるものだったのか、もっと良いアプローチがあったのではないかと見直してみるのもいいですよね。

何度も言いますが、ただ量をこなすことが努力だというのは間違ってます。

努力の基準値が低くなっていないだろうか?

また単純に『努力している』と自分で思っていても、単純に努力量が足りていないという場合があるかもしれません。

例えば、テストで良い点を取れなかった時『あれだけ勉強したのに…』と悲嘆することがあったとしても、周りの成績優秀な人たちは自分以上の勉強量をこなしているかもしれません。

また量だけではなく、徹底的に質や効率を高めるためのアプローチをしているかもしれません。

自分のやっていることが報われないと感じてしまう時、どうしても自分の意識は内側へと向きすぎてしまう傾向にあります。

だからこそ、そういう時ほど意識を外側に向けて『周りと比べて自分の努力の基準値はどうなのか』を振り返ってあげる必要はありますね。

人と比較すると凹む人は多いですけど、自分の内側に閉じこもりすぎても、やっぱり凹んでしまいます。

参考:継続力を身につける方法 |継続できない人の特徴と努力が続く人の習慣

そこそこのラインまでは努力で到達することが可能

全ての目標を達成することはできないかもしれないけど、ある程度のラインまでなら努力で到達することは可能ですよね。

例えば、ギターなどの楽器の場合、コンクールで入賞したりスタジオミュージシャンとしてオファーがひっきりなしになるのは難しいかもしれませんが、自分でバンドを組んで曲を演奏したり、そこそこのレベルまで上達するくらいならできるはずです。

芸術も勉強も仕事もスポーツも、正しいベクトルでの努力を繰り返していけば、ある程度のレベルまでなら到達可能です。

だからこそ『全ての努力が完全に報われない』ことはないのではないかと。

誰もが100点を取れるわけでなくても、70点くらいまでは努力で到達できることを考えると、『努力が報われない可能性』を恐れて動き出さなかったり途中で諦めてしまうのは、非常にもったいないです。

例え100点を取れなかったとしても、70点の成功体験を積み重ねていけば、なににも代え難い価値を享受できるようになりますから。

あらゆる努力には『学び』が報酬としてついてくる

目標達成を目指して努力をした結果、その目標が達成できなかった時、その努力が無駄になったと思う人もいますよね。

だけど、例え目標が達成できなかったとしても、その過程で得られるものってめちゃくちゃ大きかったりします。(むしろ、結果よりも過程で得られるものの方が長い目で見たら価値があったり)

例えば、一生懸命に受験勉強をしたにも関わらず、志望校に落ちてしまったとします。

しかし、その場合でも

  • 目標に向けて頑張れる力がついた
  • 勉強する楽しさを知ることができた
  • 目標を達成できなかった悔しさを知ることができた
  • 精神的に自分を高めることができた

などなど、色んな財産を手にすることができるはずです。

だから、ある時点では『努力が報われなかった』と思えてしまったとしても、時間が経った後に『意味があった』と思えることも必ずあるでしょう。

そういう人は例え上手くいかなかった時でも『努力は報われない』とは思わないはずですし、目先のことばかりでなく長期的な視点で物事を捉えることで、人生の幸福度が上がるのではないでしょうか。

まとめ

『努力は必ず報われる』と言う人もいれば『それは勝者の理論。報われない努力もある』と言う人もいます。

冒頭でも書いたように『報われる』の基準も『努力』の基準も人それぞれだから結局は『なんとも言えない』というのが答えかもしれません。

ただ、『報われ方』には色んなカタチがあるわけで、人の気持ち次第で全ての努力は報われるんじゃないかと僕自身は強く思います。

それに『全ての努力は必ず報われる』と信じて生きる方が楽しいし、楽しく生きていれば楽しい人もどんどん集まってくるし、できるだけ楽しく生きてる方が絶対に良いことがある。

ということで、もし『努力が報われない』と感じることがあれば、ぜひこの記事のチェックポイントを参考にしていただければ幸いです!

 

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