「やりたいことがわからない」ことに悩む人は、ここ最近で特に増え続けているんじゃないかと思います。
「好きなことして生きていく」というキャッチコピーが若者層を中心に浸透していったことで、「好きなこと」が明確な人にとっては希望が持てる世の中になっていっていることは事実かもしれません。
ただ「自分の好きなこと、やりたいことがわからない」という人にとってはどうでしょうか。
自分のやりたいことがわからないことで、就活や進学のような人生の岐路における選択が困難になったり、やりたいことが明確な人に対して劣等感を感じたり、常に欲求不満のような感情を抱え込んだまま生きていかなければいけない羽目になる…と言っても過言ではないでしょうし、実際にそういう人はたくさんいるはずです。
やりたいこと格差の時代へ
今って多様な生き方(働き方)が認められている時代で、いわゆる社会のレールからはみ出して生きていく人も増えてきました。
というか、新卒一括採用からの終身雇用&年功序列という従来のモデルケースがこれまでほど機能しなくなり、「社会のレール」とやらの絶対性も弱まってきていますよね。
参考:社会のレールから外れてみて思うこと。社会のレールなんて実態のない幻想だ。
テクノロジーの変化によって働き方の多様化も進み「やりたいこと」が個人レベルでも実現しやすい時代になってきました。そういう人にとっては、今の社会って本当にユートピアのような場所だと思います。
ただ、時代も社会も結局は「基盤(インフラ)」なわけで、そういう環境が整った上で「じゃあ何をやるの?」という話じゃないですか。
一昔前であれば、社会のレールも割と機能していて「やりたいこと」なんか不明確でもそれなりに楽しく満足できる生活が送れていました。みんな同じような生き方をしていたわけだから、誰かとの比較材料も出世や給料が尺度になったわけですよね。
ただ、今は「やりたいことを実現できているか」が他人との比較材料になってきています。
やりたいことが明確で、どんどん自己実現への道を突き進めていく人。やりたいことがわからず悶々とした気持ちを抱えながら日常生活を営んでいる人。
その格差が悩みのタネになっている人は今、どんどん増えているのではないでしょうか。
やりたいことが見つからない症候群
「やりたいことの有無」を否応なく問われることになるのは、大学受験や就職活動など、人生の岐路を選択するシチュエーションだと思います。
僕自身もずっと「やりたいこと」が特に思いつかなくて、大学受験の時はできるだけ偏差値の高いところを、就職活動の時はできるだけ人気があってホワイトな業界の企業を志望しました。
参考:新卒で入ったホワイト起業を24歳で辞めた理由と実際に独立して思うこと
僕の場合は、子どもの頃から「周囲(特に親とか先生)の期待に応えなきゃ」という気持ちが強すぎて、あまり自分のやりたいことや欲しいものを自己主張することがなかったのが一因だと思っていますが、おそらくそういう人は多いのではないでしょうか。
「周囲に求められていること=自分のやりたいこと」と混同するのが習慣化してしまうと、いざ「やりたいことをやろう」という時に、やりたいことが本当は何なのか自分でもわからなくなってしまいます。
でも、やりたいことがわかっていない状態で社会人になるのって、僕的には本当に辛かったんですよね。特にやりたいことをやれている人を見ると、その眩しさにもう耐えきれなくなったりして。
やりたいことをやった方が幸せだ。だけど、やりたいことが何かわからない。
そういう状況に陥った時に、もう焦るしかないんですよね。今まで「やりたいことの見つけ方」なんて誰も教えてくれなかったし、何か劣等感のような感情が常に襲いかかってくるし。
ということで、やりたいことが見つからない時なんですけど、僕はこうしたらいいと思っています。
やりたくないことをとにかくリストアップする
人は「やりたいこと」よりも「やりたくないこと」を語る時の方が本音が出るものだと誰かが言っていました。
やりたいことを考えようとしても、誰かの顔色を必要以上に伺いすぎてしまったり、やりたいかどうかではなく「できそうかどうか」という尺度を無意識のうちに介在させてしまったりと、自分の本音がストレートに出てこないことの方が多いんじゃないでしょうか。
だから、やりたいことを考える前に、まず「やりたくないこと」をリストアップして、自分の本音やコアを導き出すためのステップを踏んでみた方がいいと思うんです。
僕は新卒で会社に入社してから「あれ?今の人生の延長線上に自分の理想はあるのか?」とようやく疑問に思えたわけですが、その時に書き出した「やりたくないことリスト」はこんな感じでした。
- 毎日決まった時間に決まった場所に通勤したくない
- 毎日似たような服しか着れないのは嫌だ
- スーツもできることなら着たくない
- 新規開拓の飛び込み営業はしたくない
- 本気で嫌な人とは関わりたくない
- 田舎には住みたくない
- 上司や先輩や取引先に頭を下げたくない
- 世間の平均以下の収入は嫌だ
今見返してみると、とても欲深すぎてビックリしてしまいますが、これが当時の自分にとって、周囲の大人や社会の影響を受けずに考え出した“本音”だったことは間違いありません。
もちろん、自分にとって理想的な生き方を追求する過程では、「やりたくないなぁ〜」と感じられるようなことをやらざるを得ないこともあります。
ただ、まずは「本気でやりたくないこと」を考えることで、自分のコアを探り当てるためのアプローチをとってみてもいいのかなと。
やりたくないことをやらなくてもいい生き方を考える
やりたくないことをリストアップしたら、「それらをやらなくてもいい生き方を実現するにはどうすればいいのだろう」と真剣に考えてみる。
夢を実現できる人は「自分でもやれる理由」を探し、実現できない人は「自分ではやれない理由」を探し続ける、なんてよく言われていますが、常識的に捉えると難しそうなことでも真剣に考えてみれば案外そのための糸口って見つかるものだったりします。
僕の場合は、上記の「やりたくないことリスト」から考えた結果、「自分でネットとかを使ってビジネスを立ち上げるしかない!」という結論に至りました。
「やりたくないことをやらずに生きるには」という考え方は、ある種の消去法的なアプローチなので、「課題が漠然としていてわからない」とか「選択肢が色々とありすぎてどうしていいのかわからない」と悩みがちな、ミレニアル世代の人には合っているんじゃないかなと思います。
「やりたいことを考える」という足し算の論理で考えるよりも、「やりたくないことを考えて、それをやらなくても済むようなライフスタイルをデザインする」という引き算の論理で考える方が、理想的な生き方や働き方をスムーズに見つけられる人も多いのではないでしょうか。
それに「やりたいこと」なんて生きてるうちに次から次へと変わっていくじゃないですか。だから、やりたいことに縛られすぎていても息が苦しくなるだけだし、そこはもっとラフに考えてあげていいと思うんですよね。ゆとりを持たせてあげた方が「点と点が繋がって新たな自分に気づける」みたいな状況も作りやすくなっていきますし。
やりたいことがないと悩んでいるのなら、「やりたくないこと」から考えてみる。
結構オススメなので、ぜひ1つの考え方として参考にしていただけると幸いです!