人生が変わるきっかけを求めている人は多いと思います。
もっと言うと「何か決定的な転機となるようなきっかけがないと人生は変わらない」と思っている人も多いのではないでしょうか。
その考え方では、ある意味では正解だとも言えるし、ある意味では不正解だとも言える。僕はそう考えています。
「どっちなんだよ!」と思われるかもしれませんが、ただひとつハッキリと言えるのは「正しい戦略と正しい行動さえ取っていけば、人生はちゃんと変えられる」ということです。
今回はそんな話をしていきたいと思います。
人生は「変わる」のではなく、この手で「変える」もの
もし「人生が変わるきっかけ」をずっと待ち続けているのなら、その瞬間は恐らく一生訪れることはないのだと思います。
なぜなら、あくまで自分の人生というものは、誰かによって変えてもらうものではなく、自分自身によって主体的に変えていかなければいけないものだからです。
また「変わったかどうか」を判断するのは、自分自身の思考回路でしかなく、自分が「変わった」と感じられることがすべてである以上、その過程においても自発性や主体性が求められるのは言うまでもないかなと感じます。(もちろん、自分で「変わった」と思えるようになるための条件に「他者の目線」が含まれる場合もありますが)
そもそも、どれだけ自分と近しい人であれ、最終的に自分の人生を生きていくのは自分でしかないし、親も親友も自分の人生に100%のフルコミットで責任を取ってくれるわけではありません。最終的に人はひとりで人生の幕を降ろすことになるし「良い人生だったか悪い人生だったか」を判断できるのも自分しかいないわけです。
だったら、そんな超主観的な人生をコントロールできるのは「自分」しかいないわけですよね。
だから「人生が変わるきっかけ」なんてものを待ち続けていてもしょうがなくて、どちらかと言えば「人生を変えるきっかけ」を僕たちは大事にしていくべきなのです。
人生を変えるとはどういうことなのか
無論、人生を変えるには「行動」を起こさないといけなくて、行動できるかできないかというのは、その対象の具体性の高さに影響されるものです。
例えば「今から役者になろう!」と思った場合「役者になるために頑張る」と意識した場合と「役者になるためにオーディションを受けよう」と意識した場合、どちらが明確に行動できるかは明らかですよね。
- 役者になるために頑張る:目標が抽象的すぎて適切なアプローチが取れない。何をしていいかわからないから行動ができない。
- オーディションに受かるために頑張る:目標が具体的だから適切なアプローチが取れる。何をすべきか明確だから行動ができる。
後者の場合は、オーディションまでの日程で「合格するために必要なこと」をできるかぎり全てやらなくてはいけないので、それだけ行動が喚起されることになります。
「人生を変える」というのは抽象度が高すぎる言葉です。
僕の場合は「会社を辞めても生きていけるだけの収入を個人で作ること」を目標にしましたが、自分にとって「人生を変えること」とは具体的にいうと「どういう状況を作ることなのか」を定めていきましょう。そして一点集中して行動しないと「人生を変える」ことはできません。
そもそも人生を変えるのはいつでもいい。
大前提になりますが、人生とはキッカケがないと変えていけないものなのかというと、決してそんなことはないはずです。
極端にいうと、今この瞬間に「よし、俺は変わるんだ!」と思って、自分を変えて行動を起こしてしまえば、それに越したことはないわけですよね。
ただ、現実問題として、多くの人々が「自分を変えるためにはきっかけが必要」と思っているのも事実で、その潜在意識に捉われている以上は「大きなきっかけなるもの」の存在なしに、今この瞬間に自分を変えることは難しいのかもしれません。
例えば、人生を変える典型例に「大学デビュー」があります。今まで地味で垢抜けないキャラだった人が、急に見た目も整って性格も活発になるのは、日本中で毎年見られていることだと思います。
本来、美意識を高めて見た目を変えるとか、表面上の性格を変えるというのは、論理上ではいつでもできることだし「いつやってもいいこと」なはずです。
それでも、多くの人が「大学入学時」というタイミングを選ぶのは、周りの環境が変わって人目が気にならなくなるとか、多感な時期を終えて自分に自信が持てるようになるという理由はあるかもしれませんが、「きっかけ」の存在が背中を押してくれるからではないでしょうか。
誰かにとっての日常は誰かにとってのきっかけ
僕は会社員1年目の時に「この会社にいたら人生終わる!」という焦りから副業でブログ運営を始め、そこでWEB集客やオンラインセールスのメソッドを学び、独立を果たすことになりました。
色んな人から「すごい挑戦だったね」とか「普通じゃない決断をできるのがすごい」と言われましたが、いわゆる「きっかけ」というものがどれだったかというと、たくさん思いつきすぎて一つに絞ることができません。
例えば、
- 飛び込み営業中に嫌になって「会社を辞めて自由になりたい」と検索したとき
- その検索で見つけた起業コンサルタントに初めてコンタクトを取ったとき
- 出張先のジュンク堂池袋本店で副業系の本を初めて買ったとき
- 友人のツテでスタートアップ企業の経営者に会わせてもらったとき
- 社員旅行中に酔った重役にパワハラまがいの言動をされて本気でムカついたとき
- 会社以外の環境(起業塾的なオンラインサロン)に自己投資したとき
など、きっかけと呼べるような出来事はたくさんありました。
でも、そのどれもは僕だけができた経験ではなく、世の中の多くの人が似たような経験をしたことがあるんじゃないかなと思います。
会社を辞めたい系のキーワードで検索して、誰かのメルマガに登録してみたり、あるいはセミナーとかに出席してみたり。
副業でアフィリエイトとか物販ビジネスをちょっとやってみたり。
でも「人生を変えるきっかけ」になれたはずの出来事を経験しても、それが何のきっかけにもならずに、今までと同じ人生がゆるっと続いていく人がほとんどだと思います。
逆にいうと、誰かにとってのありふれた日常は、誰かにとっての「人生を変えるきっかけ」なのかもしれません。
それが日常の延長になるか、人生を変える分岐点になるかは、その後に明確な目標に向けて主体的な行動に移せたかどうかに尽きるということです。
「変わるかもしれない」では人生は変わらない
僕もセミナー講師として壇上に立たせていただくこともありますが、たまにこんなことを仰る出席者の方がいます。
今までロクに頑張ってこれなかったんですけど、今日ここに参加することで、何かきっかけになるかもしれないと思って・・・
残念ながら、このように「きっかけになるかもしれない」的な発言をされる方の人生は何も変わらないケースがほとんどです。それはセミナーだけでなく、例えば「コーチングを受ける」とか「本を読む」とか「旅に出る」とかでも同じです。
本当に人生を変えていき、その体験を「きっかけ」にできる人というのは、もう人生をこれから自分で変えていくことは決定事項として捉えているので「今日この日をきっかけにするぞ」というマインドになっているんですよね。
だから「かもしれない」の人と「決めている」人では、セルフイメージの高さが違うし、主体的な行動力も違う。「かもしれない」の人は受け身というか、どことなく他人事なんですよね。100%自分のことにも関わらず。
だから、まずは自分の身の回りの出来事に対して「この出来事をきっかけにするんだ」と決めてしまう。それが一番大事なんじゃないかなと。
もしかしたら、これまで生きてきた人生は「きっかけ」ばかりだったかもしれません。それを掴むことができなかったのは、きっかけに気づけなかったのではなく「きっかけは自分で定義するもの」という意識が足りなかっただけなんじゃないでしょうか。
将来成功する自分にとって「きっかけ」というものがあるのだとしたら、きっと今がそのタイミングなのだろう。
何気ないことでも、そう定義をしてみることが最初にして最大の一歩です。
最後に:転機もきっかけも後から気づくもの
大学デビューのようにちょうど良いイベントがあれば、それを「自分を変えるきっかけ」にすると決めてしまえばいいです。
ただ、そんなわかりやすいイベントなんか待っていても滅多に起こるものではありません。
だったら、自分から「きっかけ」を作りにいくか、身の回りで起こった日常を「きっかけ」と定義するだけではないかと。
結局のところ「きっかけ」というのは、人生を変えた後に振り返って「あの時のアレがきっかけだったんだな」と気づくものだと僕は思ってます。
だからこそ「行動あるのみ」なのですが、人は無意識レベルで背中を押してくれる何かを探しているのもまた事実。だったら、本当に手に入れたい未来があるんだったら、今この瞬間を勝手に「きっかけ」と名付けちゃって、あとはどんどん行動を起こしていきましょう!
このブログ記事も誰かにとってのきっかけになればいいなぁと心から思っています。