特に日本で暮らしていると「お金儲けは悪いことだ」とか「お金を稼いでいる人は悪いことをしている人だ」という風潮を強く感じることがあります。
僕も以前は、スポーツ選手や芸能人や大企業の経営者以外でお金持ちになった人は、何か裏で変なことをしているんじゃないかなんて思っていましたし、お金持ちが転落する話なんかは完全に「スカッとする話」として受け止めていました。
また日本では社会に出るまでに体系的にお金について勉強する機会はないし、家庭では「お金の話はタブー」の場合が多いですよね。「子どもがお金の話をするんじゃありません!」みたいな。
その結果、僕たちはお金のことをほとんど知らずに大人になっていって、なんとなく「お金は卑しいもの」だとか「お金持ちは胡散臭い存在」として認識するようになっていくのではないでしょうか。
結論から言うと、お金稼ぎが悪いことという風潮はあまりにもくだらなすぎるので、幸福な精神状態で生きていくためには(あるいは経済的な豊かさを目指すには)早いところ抜け出したほうがいいですし、お金を稼ぐということは基本的に善なることだという風に考えた方がいいです。
もちろん、稼ぎ方次第でもあるし例外が存在するかもしれないけど、基本的にはお金を稼ぐということは善いことであると。
それでは、もう少し詳しく話していきます。
なぜお金儲けは悪いという風潮が日本に根付いたか
江戸時代の徳川政治=質素倹約を奨励
お金儲けは悪いという風潮が日本に根付き始めたのは、1600年代の徳川政治に起因すると言われています。
当時の第2代将軍徳川秀忠のために本多正信(徳川家康の側近)が作った政論書『本佐録』には「百姓は財の余らぬように不足なきように治むること道なり」と示されています。
なお当時の百姓とは今でいう一般市民のことですが、なぜ財(資産)が余らないように、また不足のないように、ちょうどよくすべきかというと、
- 財が余る:力を手にして反乱が起きる
- 財が不足する:年貢(税金)を納めてくれなくなる
という理由なわけです。
徳川家康は1582年の本能寺の変で明智光秀が主君である織田信長を滅ぼした際、伊賀越えという命からがらの大脱出に成功しましたが、その時の経験が強いトラウマになっています。
そして家康は「明智光秀はお金があったから反乱を起こせた」と考え、家臣や国民に十分にお金を持たせないことが、長く権力を維持するためのポイントだと考えたのです。実際にその結果、徳川幕府は約270年という長期政権になったのです。
戦争中および戦後復興の財源は?
このように「質素倹約が善」という価値観が根付いた状態で、日本は近代化を進めていくわけですが、太平洋戦中は「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンが流行しました。これは日本国民に質素倹約を奨励するためですね。そうしないと戦争のためにお金を使えませんから。
また、日本は圧倒的な速度で敗戦国から先進国に復興を遂げましたが、そこには米ソ冷戦や朝鮮戦争に際したアメリカの戦略があったり、軍需のおかげであることも確かです。
ただ、戦後復興の財源として大きく機能したのが「郵便貯金」であることは今や広く知られています。
郵便局は全国の国民に根ざした巨大ネットワークで「貯金」というブームを作ることで、自然と政府は国民からお金を集めることができるため、国民から集めたお金を財源にして異例の早期復興が果たせたというわけです。
お金に無知な人を増やすことで誰が得をするのか
ドラゴン桜というマンガで「世の中のルールは権力者の都合の良いように作られている」みたいなセリフがあります。(当時高校生だった僕はそれを見て驚愕しました)
徳川幕府時代も戦時中も戦後復興期も時の権力者が「質素倹約」や「貯金奨励」というブームを作り上げ、国民をそちらへと誘導していきました。
今の時代ではどうでしょうか。
「お金儲けは悪いこと」という風潮が強まったり、お金の話をタブーとすることで、国民をお金に関して無知な状態にすることができます。そうなると権力を持つ人にとっては好都合ですよね。
例えば、所持金を一つの銀行に全額預けているような人は多いですが、そもそも「貯金」というのは、銀行に対してお金を貸している状態であって、銀行はその貯金を使ってビジネスをしているわけです。(預金者がみんな全額お金を引き出してしまえばその銀行は潰れてしまいます)
みんな「貯金は安心」と思い込んでいますが、一つの金融機関に全額預けている状態って本当に安心でしょうか。有事の際に備えて複数の金融機関に分けて預けた方がまだ安定度は高いですし、もっというと日本円だけじゃなくドルやユーロでも持っていた方が安心ですよね。
もっというとお金だけじゃなくて、別の形で資産を持っておくという選択肢もあるわけです。
でも、みんなお金に関する勉強はほとんどしないで、権力者や社会的権威性の強い機関の言いなりになっていると言っても過言じゃない状況ですよね。
お金儲けって本当に悪いことなの?
お金=価値提供の対価
基本的にお金というのは、頑張って汗を流したから貰えるものでも、辛いことを我慢したから貰えるものでもなく、価値を提供した対価として貰うものです。
サラリーマンの場合は「時間」という価値を提供して会社からお給料を貰っている訳であり、その時間の価値を判断して時間給を決めているのが管理職であり人事部ということですね。
もちろん、大きな価値を提供することなく大きな金額を稼げてしまうケースもありますが、そのような稼ぎ方をしていても、どこかで問題が噴出してしまったり、あるいは単純に長続きしないものです。
また、ギャンブルや遺産相続でお金持ちになった例もあるでしょうが、それは単純に持っている資産の額が増えただけで、そこに善悪も何もないでしょう。
基本的には大きな価値を提供しているから、大きな金額を稼ぐことができていると考えるべきです。
価値提供は自動化も可能
また同様に「楽してお金を稼ぐなんて…!」という論調もありますが、その意見も本質的ではありません。
何をもって「楽」と表現するかは人それぞれですが、大事なのは「どれだけの価値を提供できているか」であり、どれだけ大変な思いをしたかではないのです。
消費者が「自分のために大変な思いをしてくれた」という部分に価値を感じて、余計にお金を払うなら「大変な思いをすること」が価値に転じるので良いとは思いますが、チップ文化のない日本ではそのような状況はなかなか起きないですよね。(電車に乗るとき自動改札機よりも、駅員さんの人力対応の時の方が余分に払うなんて人がいないように)
多くの場合「楽して稼ぐ」ことが実現しているビジネスモデルは「価値提供を自動化している」と表現することができます。
例えば、東進ハイスクールの授業って、講義を映像化して視聴するタイプのものですが、授業という価値あるコンテンツを動画で配ることによって、毎回壇上に立って講義をする時と比べて、講師の実労働時間は短くなりますよね。
その結果、講師は少ない時間で大きな価値を提供できるようになり、余った時間は自分の成長に当てたりサイドビジネスができるようになったりするわけです。
つまり「価値提供は自動化も可能」ということですが、インターネットが発達した今の時代なら、それもすごく常識的な話です。
お金を稼ぐと社会貢献もできる
欧米では、多額の寄付や社会貢献活動に貢献している等の理由で、お金持ちは一般市民から尊敬される対象であると言われていますよね。
日本では「お金持ち=嫉妬や叩きの対象」となり、マスメディアさえもそれに加担するため「尊敬⇆貢献」という健全な循環が起きにくい構造になっているという側面もあると思います。
ただ、お金を多く稼いで多く使うことで、経済に貢献することができるのは間違いありませんし、家族や友人など周りの大切な人が困っているときに助けることだって可能です。
それにそもそもの話として、お金を大きく稼ぐとそれだけたくさんの税金を払うことになるから、それだけで立派な社会貢献と言えないでしょうか。
お金を稼いでいる人を叩いて、仮に引きずり下ろすことに成功できたとしても、社会全体にとってみたら百害あって一利なしなわけです。
「お金を儲けることに遠慮してしまう」という知恵袋への名アンサー
「お金を儲けることに遠慮してしまいます」という一文から始まる、Yahoo!知恵袋の有名なQ&Aがあります。
「お金を儲けると他の誰かが貧しくなってしまうんじゃないか」と躊躇している質問者さんに対して、「あなたが儲ければ儲けるほど、世の中全体の富も増えていくことに気づくべき」と諭す回答者さんのアンサーが秀逸すぎるので、ぜひ紹介させてください。
質問編:お金を儲けることに遠慮してしまう
お金を儲ける事に遠慮してしまいます。自分でもおかしいと思っているのですが、自分が得をすればどこかの誰かが損をしているのではないかと考えてしまいます。こういう考え方をなんとか払拭できないものでしょうか。
個人的に仕事で稼げるチャンスがあったのですが上記の理由によりフイにしてしまい、同僚からも馬鹿にされる始末です。欲がないというか金銭的に裕福になる事に怖さも感じます(これは自分でもよく理解できない感情です)。必要最低限の収入があればよしと思っているのですが、そうは言っても自分から稼ぐチャンスを避けるのは異常だと気付きました。具体的に言いますと、お金は無限に沸いてくるものではないから、自分が大金を手にすると、どこかの誰かが貧乏になるのではないかと思い躊躇してしまいます。こんな考え方を改めるためにアドバイスを下さい、お願いします。
出典:Yahoo!知恵袋
回答編:お金を儲けることに遠慮してしまう
富という物は、増える物なのだよ。そのメカニズムを説明いたしましょう。
たとえば、世界に二人(A君とB君)しか人間がいないとしよう。そして、1万円札が1枚だけあるとしよう。この時点では、世界全体の富の合計金額は、たったの1万円ということになる。
最初、A君が1万円札を持っていたとしよう。B君はそれが欲しかったので、A君のために家を作ってあげて、A君に1万円で売ってあげた。その結果、今度はB君が1万円札の所有者となった。A君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。この時点で世界全体の富の合計金額は2万円ということになります。(1万円札+1万円相当の家)
次に、A君くんは、ふたたび1万円札が欲しいと思い、B君のために家を作ってあげてB君に1万円で売ってあげた。その結果、今度はA君は1万円札と家の所有者となった。B君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。この時点で世界全体の富の合計金額は3万円ということになります。(1万円札+1万円相当の家が2軒)
こうして、A君とB君との間を1万円札が行ったり来たりするたびに、A君とB君の手元には、様々な不動産や価値ある品物が増えていった。(つまり世界全体の富の合計金額が増えていった)
やがて、二人は良い考えを思いついた。お互いに価値ある財物をたくさん所有するようになったので、それらを担保として1万円札をもっとたくさん作ろうと。(10万円相当の財物を担保に1万円札を10枚作るということ)
その結果、もっと多くのお金が二人の間を行き来するようになり、もっとたくさんの財物が生産されるようになった。
以上です。設定にやや無理がありますが、原理は真実です。世の中の各人が「お金が欲しい!」と思い、お互いに努力し、生産し、サービスを提供し、つまりは経済活動をすればするほど、世の中全体の価値ある品物・価値あるサービス・財産、つまり富は増えていくのです。
要するに、あなたがお金を儲ければ儲けるほど、世の中全体も豊かになっていくのです。あなたがお金を儲けたということは、それに相当するだけの価値を誰かに提供したと言うことでしょう? つまり「A君に作ってあげた家」を創造したと言うことでしょう?
あなたは儲ければならない。なぜならば、それが世の中全体を豊かにすることに直結しているのだから。
たとえば、今中国が急速に経済成長し、国全体の富が急激に増えているのは、先ほどのA君・B君の営みを10億人規模で(それこそ血眼になって)やっているからです。つまり、多くの人々が「お金を儲けよう!」と必死で頑張ると、世の中の富は無限に増えるのです。
今の日本が経済的に縮んで(つまり貧乏になって)いっている理由は、多くの人々が「お金を儲けよう」としなくなったからです。
出典:Yahoo!知恵袋
お金を稼げるようになると性格が変わるって本当?
よく「お金を稼いでいる奴には悪い奴が多い」とか「お金を稼ぐと性格が変わる」と言われたりもしますが、それは間違っているし、お金そのものに非はないんじゃないですかね。お金ってそもそも単なる交換手段、或いは「信用」や「感謝」の証なわけですから。
もし、お金持ちになって性格が変わったように見える人がいたら、それは本当に性格が変わってしまったのではなく、今までは隠されてきた本性が表れただけと捉えるべきです。つまりお金を持って性格が悪かったのではなく、元々の性格がよろしくなかったと…笑
あとお金を稼ぐ前は謙虚そうだったけど、お金を稼いだ後に傲慢になる人もたまにいますが、それは元が「謙虚」だったわけではなく、単に「傲慢」だっただけと考えられます。
お金というエネルギーを良い目的で使うのも、悪い目的で使うのもその人次第です。
最後に:幸せなお金持ちを目指してもいいんじゃない?
もちろん、お金だけが人生のすべてではないことは言うまでもありません。「足るを知る」という価値観に美徳を感じる気持ちも非常に理解できます。
ただ「お金儲けは悪いこと」という風潮が蔓延した社会はどう考えても健全じゃないし、そんな非論理的な発想をまかり通そうとするのも格好良い生き方ではないですよね。
お金を稼ぐということは「価値を提供している」ということであり、「お金儲けが悪」というのは、時代背景から時の権力者に必要性が生じて広めざるを得なかったプロパガンダのひとつです。
それを踏まえた上で「幸せなお金持ち」を目指してみるのも悪くないんじゃないかと思います。誰かが幸せになれば他の誰かが不幸になるわけではないし、むしろ誰かが幸せになることで他の誰かも幸せになれると考える方が本質的ですから。