頑張りたいのに頑張れない。やる気が出ない+めんどくさい時に考えるべきことや対処法。

頑張れない時にみたい海

頑張りたいのに、頑張れない。

そんな自分に嫌気が差したり、頑張っている人を見ると、その眩しさに更に自己嫌悪が増してしまう時って誰しも1度はあるんじゃないでしょうか。

どうにもやる気が出なかったり、めんどくさいと感じてしまったり。

僕も『意外だ』と思われることは多いですが、今までの人生を振り返ると『本気で頑張れない』だらけだったように思います。

むしろ、『頑張らなきゃいけない時に頑張れない自分』だからこそ、会社を辞めて起業して、ひとりでビジネスをしていくことに辿り着いたんだと感じていて、そういう意味では『頑張れない自分でよかった』なんて思うことも。

僕は『頑張らなくていいんだよ』という意見にはちょっと違和感を覚えるし、頑張れるんなら頑張ってみた方が、いいことはたくさんあるんじゃないかと思います。

だけど、頑張りたいのに頑張れない気持ちはすごくよくわかるし、何かに対してやる気が出なかったりめんどくさいと感じることも、とてもたくさんあるので、今回はそんなことについて思うことを書いてみたいと思います。

「頑張る」ってそもそも何だろう。

僕は2015年に自分の会社をつくってから、家に引きこもって、1日中ずーっと仕事をしていることも珍しくありません。

ブログを書いたり、新しいサイトを作ったり、動画コンテンツを収録したり、対面やオンラインでコンサルをしたり、イベントを開いたり。

それでも、自分的には好きなことをやっているわけだし、好きな時間に好きな場所で好きな服を着て、好きな音楽をかけて仕事ができているので、その時間は僕にとってかけがえのない大切な時間だったりします。

そういうわけで、誰から『すごい頑張ってるね!』と言われても、個人的には全然頑張っている感覚がないから、その度にいつも軽く戸惑い、返す返事に悩んでしまうのです。

その一方で、僕が辞めたくて辞めたくて仕方なかった会社員時代。

今の僕と比べても、遥かに仕事量も少なかったし責任もなかったし、気持ち的にもサボり気味ではあったあの時代、『自分はこんなに頑張ってるのに・・・』と常に思っていました。

仕事量が少ない会社員時代の方が、仕事量の多い起業家時代よりも、遥かに『頑張ってる』という実感を得てしまうのは面白い話です。

そもそも『頑張る』とはなんでしょうか。

あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。

自分の意見を強く押し通す。我を張る。

三省堂 大辞林によると『頑張る』とは『我に張る』が転じた言葉だそうです。
 

『困難に耐える』ことも『自分の意見を強く押し通す』ことも、自分の感情や意志に反する環境にいるからこそ、生まれる行動なのではないでしょうか。

自分の居心地が悪く、うまく馴染めない環境では、そこにただ身を置くだけで『頑張っている』という感情が生まれるのも無理はないかもしれません。

「頑張る」の基準は人それぞれ違う。

ちょっと前に、知人がこんなことを言っていました。

私は好きなことをやってるだけなのに、友だちから「よくそんなに頑張れるよね〜」って冷めた感じで言われて、なんか嫌な感じがしたんだよね。

僕の知人にとっては別に頑張ってるなんて思ってもいないのに、知人の友人にとってのそれは『頑張り(=苦痛を伴うもの)』に相当することだった…。

つまり、『頑張る』の基準って人それぞれ違うんです。

例えば、読書が趣味な人は多いですが、それ以上に読書に対して苦手意識を持っている人も多いと思います。

読書好きな人にとって『読書』とは1日のご褒美かもしれないし、人生における至福の時かもしれないし、あるいは日常に根付いた習慣かもしれない。

でも読書が嫌いな人にとっては『読書をする』という行為は『頑張らないとできないこと』であるわけです。

頑張らずにできる方がいいに決まってる

読書でも勉強でも筋トレでも何でもいいですが、それが好きでやっている人と苦痛を伴ってやっている人では、当然ながら好きでやっている人の方が強いです。

1冊の小説を読み終えるために必要なエネルギー量が、読書が生活に根付いているAさんは3だとしたら、読書が『頑張らないとできない行為』になってしまっているBさんは300かもしれません。(むしろAさんの場合は、読書を通じてエネルギーが回復している可能性もある)

嫌々やることよりも好きでやることの方が、量をこなすことができるし、質もそれに伴って上がっていきます。また細部にまで目が届くようになります。

例えば『ブログ』です。

『ブログ=頑張ること』な人は、記事を書くだけでいっぱいいっぱいで、細かい部分に目を配る余裕もありません。

しかし、趣味感覚でブログができる人は、色んなことに目を配りながら実践をすることができます。

  • もっとアクセスを集めるにはどうしたらいいだろう。
  • 読者に満足してもらえるには、どういう書き方をすべきか。
  • 他のブロガーはどんな工夫をしているのだろうか。
  • ブログの収益を伸ばすためにアフィリエイトも取り入れてみようか。

頑張らずにできちゃう場合、量をこなせるだけでなく、視点も大きく違ってきます。細部に魂を込めるようになるので、『できること』も増えていくのです。

だから『頑張る』という感覚を持つより、『頑張らずにできるようになる』という地点を目指す方がいいと思うのです。

何をしたいかよりも「どうなりたいか」を大切に。

取り組む対象に対して苦痛を伴っているから『嫌なことを頑張る』という発想になってしまう。

だから『頑張らずにできるようになろう!』と言われても、普通は『それができたら苦労しないよ!』と言い返したくなります。

勉強が嫌いな子どもが、勉強そのものを好きになれるかというと・・・。やっぱり難しそうに思えます。

例えば『仕事が苦痛で頑張れません』という相談に対して、一般的にこういう回答をする人が多いですよね。

好きなこととかやりたいことを仕事にしよう!

仕事の中に面白さを見つけよう!

もちろん、それができたら素晴らしいことだと思いますが、なかなかそう言われてもピンと来ないものです。

やっぱり人間ですから、嫌いなものを無理やり好きになろうとしても難しいし、それが自然にできればいいんですけど、自分に嘘をついて自然に反するようなことをすると、絶対に後から大きな反動が来るものです。

それに『やりたいこと』や『好きなこと』と言われても、やっぱりピンと来る人は少ないんじゃないでしょうか。

日本人の歴史を振り返れば、仕事も結婚相手も親の言いなりだった時代の方が長いですし『自分で自由に決める』ことってみんなが思っている以上に難しい。

だから『物事』にフォーカスするよりも『自分の在り方』を大事にした方がいいと僕は思っています。

つまり『何をしたいか』ではなく『どんな自分で在りたいか』を大切にすべきなのです。

憧れの人物を演じれば、頑張らなくてもできるようになる。

僕は学生時代、勉強があまり好きではなかったのですが、ある人物に猛烈に憧れることになりました。

それは、テレビドラマ『HERO』の登場人物である、木村拓哉が演じていた久利生検事。

茶髪にパーマにダメージジーンズという検察官らしからぬ格好をしながら、仕事には常に全力で取り組み、同僚や上司も諦めるような難事件に対しても、泥臭く捜査をして周りの人を巻き込んでいく。

その姿に僕は『泥臭く努力をする(けど外見はそう見せない)』ってめちゃくちゃカッコいいな!と興奮しました。

HEROのキムタクに影響を受けまくった僕は『もしHEROのキムタクが今の自分の状況(受験生)だったら…』と仮定して、演技をするように生きることで、『頑張る』という感覚を持つことなく、自然と勉強に没頭できるようになりました。

そして、新入社員時代の僕も、安藤美冬さんなど『ノマドワーカー』と呼ばれるような人たちの働き方に憧れ、まずは副業から自分でビジネスをするように。

頑張るということはそれ自体が目的なのではなく、憧れの自分になるための手段のひとつでしかありません。

僕は前述した理由で『頑張る』というアプローチはあまり取らない方がいいと思うし、そのためには『憧れの人物』を演じて『在りたい自分に近づく』という視点を持つのが大事だと思っています。

また、大ヒットしている石田ゆり子さんのエッセイ『Lily ー日々のカケラー』にもこのように書かれています。

ラクで美しいものはないのだと思います。

子どもも、若者も、野生動物も、必死にいきているから美しい。大人だって、美しいと言われているような存在は、ただ安穏と過ごしているわけじゃない。周囲に甘んじない生き方をしているから、美しいのだとわたしは思うのです。

僕もできるだけ理想に嘘をつかずに生きていたいし、そのために必死になることは、素敵なことなんじゃないかと思います。

それでもやる気が出ない時の対処法

『在りたい自分を演じる』

これがすべてだという気持ちに嘘や偽りはありませんが、そうは言っても、その取り組みの最中でやる気が出なかったりめんどくさいと感じることだってあると思います。

そんな時に僕が心がけている、いくつかのことを最後に紹介させていただきます。

ギリギリできることから始めてみる。

やる気があるから行動できるんじゃなくて、行動するからやる気が起きてくる。

僕はそう思っていますし、実際にそういうケースって多々ありました。

だから、まずは小さなこと(自分が最悪なコンディションでもギリギリできること)から始めてみて、自然と大きいこと(大変そうなこと)に移行していくといいです。

受験勉強なら、やる気が出ない時はまず単語帳を眺めたり、動画講義を聞いたりすることから始めてみるのもひとつです。

手軽にできるインプットを繰り返していれば、自然とアウトプットしたい欲求も高まってくるものです。

僕の場合ですが、本当に何もしたくないときは、とりあえずサカナクションのMVを見ることからはじめてみます。そうすると自然に気持ちが高まってくるので。

 

何か生産的なアウトプットをしてみる

やる気が出ない時は、手軽にできるインプットから始めていくといいですが、それでも『自ら何かを生産する』という活動は、人の精神を健全に保つ上で必要なことだと思います。

例えば、ブログを書いてみるとか、イラストを描いてみるとか。

そういう生産的なアウトプットに、無理のない範囲で取り組んでみることもオススメします。

個人的には『まず感性やエネルギーが上がるようなインプットをする → だんだんとアウトプットの欲求が出てくる → アウトプットを実際にしてみる』というサイクルを回すことで、無理なく心が充実する方向へ向かっていくと感じています。

風と水と光を取り入れる

『やる気が出ない』と感じる時、それは単純に自分の身体の調子が整っていないんじゃないかとも思うわけです。

専門家ではないので、あくまで個人的な主観でしかありませんが、そういう時は風と水と光を身体に取り込むと、自然と調子が良くなるような気がします。

抑うつ症状など、心の調子が悪い時は、太陽の光を浴びて自分のペースで散歩をするのが良いと言われています。

太陽の光や、水や、風のような自然に触れることで、良くも悪くも自分もこの世界を構成している生命体のひとつに過ぎないと否が応でも思われされます。

『私』という概念を中心に考えすぎてしまったり、誰かと比較したりして落ち込んだりイライラしたりするのは、ある意味では人間の特権だと思います。

ただ、それが『生物としての自然の姿』でないのならば、やっぱり普通に『人間的な生活』をしているだけで心は蝕まれていくのかもしれません。

部屋の掃除をしたり環境を整える

僕の経験上、何かに集中して頑張れる時、そこには必ず環境的な要因があります。

静かであること、視界に入る情報量が少ないこと、ものがごちゃごちゃしていないこと。

どうしても、身の回りの環境が整頓されていないと、無意識に働きかけてくる情報量も多くなりすぎてしまって、一度に色んなことを考えなくてはならなくなって、頭がパンクして思考や行動が止まってしまいます。

そういう時に『やる気が出ない…』と人は考えてしまうのではないかと思うのです。

だから、まず身の回りの環境を整理して、やるべきこと以外のことを意識から締め出すことも大事なんじゃないかなと。

それに物理的なデトックスをしている過程で、精神的にも余分なものが削ぎ落とされていく気がします。

できない時は無理に何かをしない

頑張れない時に何かを頑張ろうとするのは、自分の心に嘘をつくことにもなってしまい、その嘘が積み重なっていくと本当にしんどくなってしまいます。

今まで色んなことを色んな角度からお伝えしてきましたが、それでも『やっぱり無理』と思ってしまう日は、誰にだってあると思います。

そういう時は無理して何かをやろうとしなくても良いのではないでしょうか。

ただ、時の流れに身をまかせるように生きてみて、自然と『何かをやってみたいな』という気持ちになる時が来るのを待ってみる。

もちろん、生きている限り、頑張れなくても頑張らなくちゃいけない時もあるかもしれません。

でも、そんな時でも『なんだかんだで大丈夫』って心に呪文のように言い聞かせて、ダラーっとしてみるのも、あるいは逃げ出してみるのも、長い人生を考える上で必要になることだってあります。

できない時は無理に何かをしない。

それも全然、悪くないと思います。

まとめ ー頑張りたいのに頑張れない時はー

頑張らなくちゃいけないっていうのは、結局のところ自分の思い込みに過ぎなかったりするし、前述したように『頑張る』とは『困難な状況に耐えること』を指す言葉です。

困難な状況に耐えるよりも、自分にとって理想的な状況を作り出してしまう方が、楽しそうだし心がときめきませんか?

この世界に生まれてきたからには、できるだけ楽しく生きていたいし、美しい景色に触れたいし、自然体な気持ちでこの世界の素晴らしさに触れていたい。

頑張れないのなら頑張る必要もないと思うし、やる気が出ないなら無理にやる気を出す必要はないと思います。

でも『自分にとって、どういう自分で在れたら理想なのか』ってことは考えてあげるに越したことはないし、『憧れの自分を演じる』ってことと『自然体で生きる』ってことを両立できる生き方ってやっぱり良いものです。

『自然体の自分』が憧れた姿なら、それを演じることってすごく自然なことだと思うし、それ自体が『毎日を楽しく生きるコツ』になるんじゃないかと感じています。