社会のレールから外れてみて思うこと。社会のレールなんて実態のない幻想だ。

新卒で入社した会社を辞めることを決めた時、社会のレールから外れてしまうんだと思い、心が空中に浮かび上がって行き場所を失くしてしまったような、得体の知れない不安に襲われたことを今でも強く覚えています。

また就職活動の時は、新卒で大企業に内定をもらえないと人生の終わりだと本気で思い込んでいたし、周りを見渡しても95%以上の人が同じ気持ちだった気がします。

そして今、社会のレールとやらから外れてみて5年ほどが経って思うのは、あれだけ僕たちの心を強く縛っていた「社会のレール」という概念が、実態のない幻想に過ぎなかったということです。

目次

社会のレールとは何か?

レール

社会のレールという言葉を聞いた時、多くの人はこのようなものをイメージするのではないでしょうか。

  • 良い高校に入学する
  • 良い大学にストレートで入学する
  • 大手企業に新卒で入社する
  • 25歳〜30歳前後で結婚し子供をもうける
  • 出世をしながら定年まで勤め上げる

こうして書いてみると、このレール通りの人生を歩む人って日本人全体の何パーセントくらいなんだろうと不思議に思います。

それに冷静に考えてみると、このレール通りの人生を歩めたからといって、それで幸せになれる保証なんてどこにも存在しないことに気づけると思うし、そもそもの話として人生には不確定要素がつきものです。

途中で体調を壊してしまうかもしれないし、価値観が劇的に変わるかもしれない。世の中の在り方も大きく変わるかもしれないし、そもそも今の時点で良い会社と言われる会社が20年後も良い会社である保証なんかもどこにもない。AppleやGoogleが20年前どうだったかを考えてみればわかるけど。

このように、人生には「かもしれない」という不確定要素が多いわけだから、最初の段階で見えない未来までレールを敷いてしまうのは、超ハイリスクな行為だと言っても過言ではないわけです。

社会のレールから外れても構わない理由

社会のレールから外れることを怖いかもしれないけど、もしかしたらそれは単に「今までの常識の外で生きること」が怖いだけかもしれません。

結局は自分が幸せに生きられればそれが最高なわけだし、もし「社会のレールから外れたら人生終わり」という思い込みが人生を不自由にしているのであれば、その幻想から早く解き放たれる方が精神衛生的にも遥かにプラスです。

世界が変化するスピードが速くなっている

今という時代ほど、人々の生活や経済が変化するスピードが速い時代はありません。

こんなグラフの推移もめちゃくちゃバズっていましたが、今安定していると目されている企業が10年後も安定している保証なんてどこにもないし、20年後や30年後なんて尚更です。

このような時代において、未来から逆算してキャリアプランをデザインしたところで、その未来が訪れない可能性の方が遥かに高いわけです。時代の変化が緩やかな時代と今とでは「社会のレールに沿って生きる」という戦略の持つ優位性は全然違うということは考慮に入れるべきです。

多様な生き方が可能になっている

テクノロジーの発達によって、個人単位で実現可能なことの制限が弱くなっていることや、社会のシステムが目まぐるしく変化するようになったことで、多様な生き方が可能になったという点も見逃せません。

今までに存在しなかった職業もどんどん生まれていますし、SNSやネット検索を使えば、色んな生き方を実現している人の思考やノウハウに触れることも容易です。

例えば、今まではハイリスクハイリターンの代名詞だった「起業」ですが、今ではほとんどノーリスクで起業をしたり、ネットで手軽に副業を始める人も多い時代ですよね。

今までは社会のレールに沿わないと生きるのが難しい時代だったかもしれないけど、今は本当に色んな生き方が可能になったし、色んなモデルケースに触れることもでききるという点では「社会のレールから外れるリスク」は昔ほど大きくないと断言できます。

人生は1回しかない

そもそもですけど、人生はたった1回しかありません。

だからこそ、世間の声がどうだとか、今までの常識がどうだとかは一旦取っ払ってしまって「自分はどう生きていきたいか」という問いに真剣に向き合ってみてもいいんじゃないかと思います。

目まぐるしく変わる世界において、もはや「絶対的な模範解答」など寓話に過ぎなくなっている今、一度しかない人生を本当に「レールに沿うこと」だけで終わらせていいのだろうかと。

リスクだ安定だと議論するのはいいですが、そもそも人生は1度きりという前提を忘れたら、本当に大事なものを見失ってしまいます。

社会のレールから外れてみて思うこと

僕は元々たいしてやりたいことなんてなく、なんとなく周囲に流されて生きてきたタイプの人でした。

やりたいことがないからこそ、「とりあえず良い大学行って、とりあえず良い会社入って…」という「とりあえず」に強く依存した生き方をしてきました。

そんな僕も社会人になって会社で勤めるようになってから「このままでいいのか?」と漠然とした疑問を抱くようになり、その結果として独立起業という選択をしました。

参考:独立起業して成功するためには人脈も資金も必要ない!金なしコネなしからフリーランスになった僕の戦略。

「社会のレールから外れる」という決断をした時こそめちゃくちゃ怖かったですけど、それから5年以上が経った今では、時間とお金の余裕もそれなりにできるようになり、そういう観点から思うことが色々とあります。

どんな生き方を選ぶにしても結局は自分次第

「社会のレールから外れること=人生ハードモード」みたいに言われることが多いですが、そもそも「社会のレール」なんて幻想にすぎないわけだし、例えば普通に会社員として生きていく場合にしても、主体的に物事を考え当事者意識を持って頑張っていかないと厳しくなっていくわけです。

特にあらゆる変化のスピードが速く、質がドラスティックになっていくこれからの時代においては。

結局はどんな生き方を選ぶにしても自分次第ということです。どの生き方を選んだから楽とかそういう話ではないんじゃないかと。

環境が変われば常識もガラッと変わる

とは言え、環境がガラッと変わることで、急にイキイキできるようになるケースもあったり、今までは地味で目立っていなかった人が水を得た魚のように輝きだすことも往々にしてあります。(スポーツでも移籍をきっかけに急にブレイクする人もいますよね…?)

一概に「社会のレール」と言われることが多いですが、僕たちが生きるこの世界には無数の社会があります。

そして社会が変われば、そこで信じられている常識だって大きく変わるわけです。

僕たちがイメージしている「社会のレール」とは、数多くある社会のレールのたった1つでしかないわけです。時代や地域がちょっと変わるだけで信奉されている理念も常識も何もかもが変わります。

そして、現代というインターネット的社会においては、この狭い国土の中でも無数の社会が乱立しているような状況ができあがっているので、たった1つの社会常識が皆を支配するという構造は、今後ますます薄まっていくのではないかと思われます。

参考:常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクション【アインシュタインの名言】

社会のレールから外れても普通に生きていける

僕たちが「社会のレール」という言葉を聞いたときにイメージする、いわゆる社会のレールから外れても、普通に(あるいは普通以上に)生きていくことはできます。

実際にそういう生き方を選択して、楽しそうに成功している人はたくさんいますし、前述したように今は色んな働き方・生き方が容易になってる時代です。

ちょっと視野を広くしてみるだけで、実に様々な生き方を楽しんでる人が想像以上にたくさんいることに気づくので、まずは者を広くして「色んな事例に触れる」ことから初めてみるのがいいと思います。

人は既知に安心し未知に恐怖を抱くもの

社会のレールから外れるのが怖いという人は、結局のところ「自分の知らない世界」を拒絶しているだけだったりします。

人は既知の情報に対して安心感を抱き、未知の世界に対して恐怖を抱く生き物です。

逆に言うと、今の自分が何となく抵抗を感じるような事象であっても、それについて知識を増やしたり、リアルに体験することで次第に恐怖も薄まっていきます。そして「当たり前」へと変わっていくのです。

社会のレールから外れるのが怖いと思っていても、一般的な社会のレールから外れて生きている人たちと関わってみることで、自然と感情や捉え方も変わっていきます。

社会のレールから外れても大丈夫

一度社会のレールから外れると、もう終わりだ。

そう考えている人は多いけど、もうちょっと具体的に深掘りして考えてみてください。そもそも「社会のレール」って何なのか。自分自身にとって「人生終わり」ってどんな状況を指すのか。自分が本当に生きたい人生ってどんなものなのか。

もし不安で不安で仕方がなくても、関わる人を変えれば社会が変わるし、生きる社会が変われば常識もそれに伴って変わります。

まずは視野を広げること。そのために色んな情報にリアルに触れること。そして小さくとも行動を起こすこと。

とにかくまずは動き出してみて、色んな人と出会い、新しい常識に生身で触れられるようなコミュニティに参加してみるといいです。

社会のレールから外れても大丈夫。所詮そんなものは幻想に過ぎないから。

目次
閉じる