言ってることが変わる人への健全な対処法|矛盾を疑うのではなく「全て正しい」と仮定しよう。

あらゆる人間関係の中で生きていると「この人って今とこの前とで言ってることが全然違うな」と思うことが多々あります。あるいは同じ著者の書籍を読んでいても、Aという本とBという本では主張が矛盾しているように思えることもあったり。

僕も自分自身の言動を振り返ってみると、一見すると異なる主張を短い期間内でしていることもありますが、ただ言ってる張本人だからわかるんですけど、決してそこには「矛盾」はなくて、むしろ根っこの部分を捉えてみると全く同じことを言ってるだけだったりするんですよね。

色んな人の話を聞いていると「あの人って言うことがコロコロ変わるよね」っていうことで困惑をしたり悩んでいる人がすごく多いみたいです。

ただそれを単なる「表面上の矛盾」で片付けてしまうのか「本質的には同じなんじゃないか」と仮定するかで、仕事の生産性も人間関係の豊かさも生活の彩りも何もかもが向上すると思うんです。

ビジネスコンサルを受けていた時に感じた矛盾

細かいシチュエーションや内容は失念しましたが、僕がビジネスのコンサルティングを受け始めたばかりの頃、メンターの方とのコミュニケーションの中でこんなことがありました。

  • 自分のビジネスについてアドバイスを貰いにいく → アドバイスAを貰う
  • その後また同じことについて再度質問をしにいく → アドバイスBを貰う

このアドバイスAとアドバイスBが表面だけ見ると別物のように感じられたんですよね。

言ってることが矛盾してると感じられるケース

敢えて図解するとこんな感じです。

僕はそのコンサルティングに対して決して安価ではないコンサル費を払っていました。「言ってることがコロコロ変わるなんておかしい!」と文句をつけることも、選択肢の一つとしては考えられるかもしれません。

ただ、大事なのはこの後に取るべき行動で、言ってることが違うからと言って憤慨したりクレームをつけるのか。あるいはもっと建設的な思考をするのか。ここに知性や感性が表れるんじゃないかと思うのです。

誰かの「言ってることが変わった」時に考えるべきこと

特にビジネスの現場では、言葉の受け取り方や定義が変わるだけで、結果に大きな変化が生じることが多いです。だからこそ「事実」に対してどのような「解釈」を与えるかが大事になるわけだし、もっと言うと「事実と解釈を別物として捉えられるかどうか」が大事になります。

矛盾と解釈

先ほどのケースの場合、事実とは「メンターからAとBという2つのアドバイスをもらったこと」で「矛盾している」というのは事実ではなく個人的な解釈に過ぎないのです。

事実とは常に1つだけしか存在しませんが、解釈とは人間の感情や施行に伴うものなので、100人いたら100通りの解釈が存在することになります。

だから大事なことは、アドバイスを受け取った自分は「矛盾している」という解釈をしたけど、アドバイスをした側からすると別に矛盾はしていないのではないか?と考えられるかどうかだと思うのです。

矛盾の対処法

普通に考えたら、相手もひとつの軸を持った人間なわけですから、無意味に言うことがコロコロ変わることは基本的にありえないんです。だから受け取る側も「矛盾してる!ムキー!」ってなるんじゃなくて「矛盾してると感じるのはこっちの思考力が足りないからかもしれない。もし両方が正しいと仮定したらどんなロジックになるのだろうか」と考えてあげられるといいと思うんですよね。

中学校や高校の数学の授業で証明形式の問題に取り組んだことがあると思いますが、まさにそんなイメージです。一見矛盾すると思われるAとBという2つの説が「どちらも正しいとするならば、どのような論理で説明できるか述べよ。みたいな感じの。

更に言うと、言葉とは深い深い「思考」における氷山の一角でしかないため、目に見えるものだけを絶対視しすぎてしまうと誤解や摩擦が生じてしまうのも無理はありません。何か目に見えるものを受け取ったら、目には見えない、表には出てきていないものに思いを寄せてみる癖をつけてみることが大切ではないでしょうか。

矛盾を解消する思考法

僕もビジネスのコンサルを受けているときに思ったのは「自分よりも知識も経験がある人と自分とを比較するなら、絶対に自分よりも経験のある人を優先すべきだよな」ということ。

職場でも家庭でも言えることだと思いますが、もし矛盾を感じることがあっても「全てが正しいと仮定してみる」ことで新しい物の見方ができるようなるものですよ。

世界を二元論で捉えない

また「矛盾」で悩むことの多い人は、世界を二元論で捉えがちなことが多いです。

二元論(にげんろん、dualism)とは、世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する二つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。例えば、原理としては善と悪、要素としては精神と物体など。

出典:Wikipedia

例えば、何かに挑戦する時に「思考」と「行動」のどちらが大事なのか、という論争はよく見受けられます。

「考えるよりもまず行動しよう!」という人もいれば「まずちゃんと考えてから行動しよう」という人もいますよね。でも、本質的なことを言うと「考えること」も「動いてみること」も普通にどっちも重要なわけです。

有名な起業家の方が「行動しろと言うと何も考えずに行動するバカが増えるし、考えろと言うと考えてばっかで行動できなくなる人が増えるから、ちょうどよいバランスでやれとしか言えない」と以前どこかで仰られていたのがすごく印象的ですが「どちらも大事なこと」なのに「どちらかしか選択できない人」はとても多いです。

「行動力が大事!」も「思考力やプランニングが大事!」も、根っこの部分では「ちゃんと考えながら行動するのが仕事においては大事だよ」っていう部分で共通しているんですよね。

世界を二元論で捉えてしまった方が、正直ラクだと思います。勧善懲悪モノとかもそうですけど、頭を使わずにどっちかに当てはめればいいだけだから。

でも世の中のほとんどは白黒つけることのできないグレーゾーンで構成されているし、白も黒もグレーの濃度の強弱を抽象化しただけの存在なんです。でも世の中の原理原則も人の心も二元論で語りきれないし、二元論で語ってしまうとその他の存在を得てして無視しがちになります。

でも、そこで一歩踏み込んで考えてみることで、見えてくる新しい答えは絶対にあるし、世の中の矛盾も解消できるのではないかと思います。特にビジネスをしたり自己鍛錬をする際には「思考で矛盾をつなぐ」というプロセスが必ず必要になってくるかと。

「言ってることが違う!」が起こりがちな理由

それでは最後に日常生活の中で矛盾を感じやすいポイント、「言ってることがさっきと違うじゃん!」が起こりやすいパターンを具体例で見ていきたいと思います。

様々な「正解」が存在するケース

今までの学校教育では1つの問題に対して正解は1つだけだったかもしれませんが、世の中のありとあらゆる問題に対する正解は1つだけでは限りません。

例えば「なぜ徳川幕府は滅亡したのか」という質問に対する答えとしてよく挙がるのが、

  • 薩長同盟を可能にした坂本龍馬の存在
  • 外国船の来航に伴う鎖国の終了
  • 雄藩の独自財政の成功
  • 幕府を中心にした封建制度社会の限界

などですが、そのどれもが正解ということになりますし、意見A「雄藩の独自財政の成功」に対して、意見B「坂本龍馬が薩長をつなげた」という異なる意見が出てきても、別に矛盾は起こらないわけです。AもBも正解というわけで。

世の中において「正解がたった1つだけ」ということは滅多にないですし、唯一の正解を求めすぎないという姿勢を持てたら、あらゆるシーンで賢明な判断ができるようになります。

状況の変化により優先度が変わるケース

例えば、ビジネスの現場では「質か量か」という議題がよく取り上げられます。本当は質も量もどっちも大事なわけですが、効率よく物事を軌道に乗せるためには優先順位を決めて行動をデザインする必要がありますよね。

だから、もし質にこだわりすぎていてインプットやアウトプットの総量が足りていないことが問題化しているときは「質は置いておいて、まずは量を増やそう」というメッセージが有効になります。逆に量ばかりに目がいって質が足りていないことが、どこかで問題として表面化しそうな場合、当然ながら「量はいいから質を…!」ということになります。

そこで「さっきは量の方が大事だって言ってたじゃないか!矛盾してる!ムキー!」ってなるのは、どう考えてもナンセンスですよね。

量と質はどちらが大事か論争

このように表層から本質へと降りていくと、結局は「良い仕事をしよう!!」というメッセージに落ち着くわけです。そして「量か質か」というメッセージを具現化するためのアプローチは、状況や個々人の性質によって変動するのが当たり前です。

本質と表面を履き違えてしまうケース

例えば、僕は壇上に立ってセミナーをする時や打ち合わせの時などは、ラフな私服に身を纏うことが多いです。それは気分というよりも「何にも縛られないライフスタイルを目指そう」という主張を体現するためのアプローチという意味合いが強いです。

ただ気分やTPOによってはスーツを着ることもあるわけですが、別にスーツを着たからといって「何にも縛られないライフスタイル」という軸が崩壊するかというと、別にそんなこともないじゃないですか。私服を着るときもあればスーツを着るときもある。その背景には「好きなものを好きな時に(状況に応じて)選択できる自由」があるわけですから。

そこで「何を着ているか」という表層ばかり気にしてしまうと、それこそ世の中は矛盾だらけになってしまうし、建設的な人間関係を構築したり知性ある判断をすることが難しくなってしまいます。

単純に考え方が変わったケース

人間ですから単純に考え方が変わるケースもあるでしょう。それは自分が成長したからかもしれないし、あるいは時代が変わって社会を取り巻くあらゆる状況が変化したからかもしれない。

「ずっと同じ考えでいないといけない」わけではないし、人の言動に対する矛盾に厳しい人は、成長の余白を考慮できない人…とも言えてしまうかもしれません。

矛盾の捉え方

時代の変化や自分個人の変化によって、表層的な部分(自分の価値観を具現化するためのアプローチの仕方)が変わることもあれば、根底の部分から価値観や考え方が変化することも当然あります。

ただこの場合も基本的な考え方としては「AもBも正解だ」という前提は崩さない方がいいです。

それに沿って考えると、「当時はAが正解だったけど、様々な変化によってBが正解に変わった」という建設的な判断ができるようになるし、そこから発展させて「ではどんな変化が起こったんだろう」と更に掘り下げて思考を掘り下げることができます。

以前、とある女性経営者の著書を読んでいたら、その人のポリシーとして「仕事着は絶対にデニムパンツ(軽やかな印象を与えたいから)」と書かれていました。しかし、その本の出版から5年ばかりが経った時にその方のSNSを見ていたら、セミナーにスカート姿で登壇している画像があがっていました。

これは「月日を経て大事にするものや自分に纏いたいイメージが変わったんだな」と捉えることができるし、あるいは「自分の内面を表現するツールとして服装を活用する」という点においてはAもBも本質は変わっていないのかもしれません。

矛盾を感じた時こそ「思考」を大事にしよう

誰かの発言に矛盾を感じた時ほど、自分自身の思考力が試されるシチュエーションはない。そう言っても全く過言ではありません。

極端な二元論に走ったり、早合点して相手を非難することなく、まずは一見異なるように見える2つの事象が「両方正しい」という仮定を持ってみる。そしてその仮定が正しいとしたらどんなロジックが成立するかを考えてみる。

矛盾とは事実ではなく感情です。「言ってることが違う」のではなく「言ってることが違うようにあなたが勝手に感じているだけ」です。

それに気づくことができた時、もっと思考が自由になるし、生産性の高い行動がデザインできるようになるのではないかと思います。